<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0"><channel><title><![CDATA[茶道教室]]></title><description><![CDATA[心を込めたお茶の時間、あなたの心を癒す場所]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/blog</link><generator>RSS for Node</generator><lastBuildDate>Sat, 24 Oct 2026 09:04:00 GMT</lastBuildDate><atom:link href="https://www.senshinan-sakado.com/en/blog-feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title><![CDATA[一畳六歩]]></title><description><![CDATA[先日、高校生に茶室での歩き方を伝える機会がありました。 畳の上を歩くことに慣れていないため、 歩くという動作にもわずかなぎこちなさがありました。 表千家では一畳を六歩で歩きます。 はじめは歩幅が揃わず、気づけば五歩になることもあります。 これは長く稽古を続けていても起こることです。 五歩でも向こう側には着きますし、お茶を点てることもできます。 けれど、型を丁寧に行うと見えてくるものが変わります。 茶道の型には余分な動きがほとんどありません。 その無駄のない流れに身を置くと、 急ぎや力み、先走り、ふとした考え―― 普段は気づかない動きが浮かび上がります。 型に余分がないからこそ、 そこに重ねているものが見えやすくなる。 型を曖昧にするとそれが見えにくくなる。 六歩で歩くこと自体が目的ではなく、 その型を繰り返すことで所作の奥行きが少しずつ見えてくる。 はじめは「六歩で歩く」「次の動きを意識する」といった考えが伴います。 けれど、続けるうちにその意識は静かに薄れていきます。 型は変わらずそこにある。 ただ、型をしているという感覚は静まり、 所作の正否だけでなく、...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E4%B8%80%E7%95%B3%E5%85%AD%E6%AD%A9</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d314641031</guid><pubDate>Tue, 15 Sep 2026 23:22:52 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_74e8bd13b69b41558b62836b18072062~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[清流無間断 （せいりゅうかんだんなし）― もともと途切れていないもの　Seiryū Kandan Nashi — The Clear Stream Flows Without Interruption]]></title><description><![CDATA[「清流無間断」という言葉に触れると、 まずは清らかな水が絶えず流れている景色が浮かびます。 しかし、静かに見ていくとこの言葉は水の比喩を離れ、 もっと奥の状態を指しているように思えてきます。 途切れず続く流れがあるのではなく、 そもそもどこにも切れ目が成立していない。 そのようなあり方が、言葉の奥に見えてきます。 茶道の点前でも、柄杓を取り、湯を汲み、茶碗に注ぎ、茶を点てる........一つひとつの所作は分かれて見えます。 けれど、点前を重ねるうちに、その境目は次第に薄くなっていきます。 形は移り変わっても、その奥では何も分かれていない。 切れ目は、現象の側にあるのではなく、 「前」「後」「良い」「乱れた」と何かを認識したときに生まれます。 境界が置かれていない透明さが、「清」という言葉の向きに重なります。 さらに微細なのは、「途切れないようにしよう」という働きです。 流れを守ろうとすると、その瞬間に守る私と守られる流れが立ち上がり、 かえって間断が生まれてしまうことがあります。 保とうとする動きが薄くなったところで、 もともと何も途切れていなかったことが静かに現れてきます。...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E6%B8%85%E6%B5%81%E7%84%A1%E9%96%93%E6%96%AD-%EF%BC%88%E3%81%9B%E3%81%84%E3%82%8A%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%97%EF%BC%89%E2%80%95-%E3%82%82%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A8%E9%80%94%E5%88%87%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE-seiry%C5%AB-kandan-nashi-an-unbroken-clear-stream</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d314641030</guid><pubDate>Sat, 29 Aug 2026 14:24:34 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_f1a96cf1e82e48c597de17d168fd3961~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[受け継がれるもの　　What Is Passed Down]]></title><description><![CDATA[昨今、幼い頃から存じ上げている茶道の先生方が病気やご高齢を理由に引退される姿を目にすることが増えました。 「あなたに渡しておけばこの先も使われるから。」 そう言って、大切にされてきた茶道具やお着物を託してくださることがあります。 本当に有難いことです。 茶道具は新しいものを手に入れて終わるものではありません。 長い年月の中で、幾人もの亭主の手を渡り、その時々のお客様を迎えながら今ここにあります。 一人のものとして存在してきたのではなく、多くの人の時間を重ねながら受け継がれてきました。 人を迎え、一服を点て、一座を大切にしてきた時間が、道具には静かに積み重なっています。 私の師匠は数多くの道具を所持しておられましたが、よくこう話してくださいました。 「道具は私のところへ巡ってきた。今、預かっているだけ。」 道具は誰かのものとして留まり続けるのではありません。 ある人のもとで時を重ね、また次の人へと受け継がれていく。 そのようにして、何十年、何百年という時間を歩み続けています。 そこには、長い時間をかけて受け継がれてきた茶の営みがそのまま宿っているように感じます。...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E5%8F%97%E3%81%91%E7%B6%99%E3%81%8C%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE-what-is-passed-down</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d31464102f</guid><pubDate>Mon, 17 Aug 2026 23:14:41 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_e0c4964e66534385958fd52a131d3621~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[一服の前にあるもの　　What Comes Before a Bowl of Tea]]></title><description><![CDATA[茶道には、一見すると遠回りに思えることがたくさんあります。 露地を歩く。  躙口から入る。 掛物を拝見する。 花を見る。 道具を拝見する。  席に着く。 お菓子をいただく。 そして、ようやく一服のお茶をいただく。 お茶を飲むだけなら、こんなに多くのことは必要ありません。 効率だけを考えれば、すぐに点てて飲めばよいはずです。 それでも茶道は、この順番を大切にしてきました。 それは、一つひとつの過程に意味があるからではありません。 その過程を通して、人の内側が静かに変わっていくからです。 露地を歩く。 掛物に目を向ける。 花に季節を感じる。 道具に亭主の心を感じる。 その一つひとつが、日常から少しずつ離れ、 内側の温度を静かに消し、 心の位置を整えていきます。 お茶は最初から美味しいのではありません。 その時間を経たあとにいただく一服だからこそ、 そのお茶が深く心に届く。 茶道が大切にしてきたのは、結果ではありません。 過程です。 しかし、その過程は目的地へ向かうための道ではありません。 その過程そのものが、すでに茶道なのです。 一服のお茶は終着点ではなく、...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E4%B8%80%E6%9C%8D%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE-what-comes-before-a-bowl-of-tea</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d31464102e</guid><pubDate>Sat, 08 Aug 2026 00:00:09 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_6b4f080d097e473cb560704ea8874f0d~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[一座建立（いちざこんりゅう）　　Ichiza Konryū — When a Tea Gathering Becomes a Place]]></title><description><![CDATA[茶道には、「一座建立（いちざこんりゅう）」という言葉があります。 一つの席が成り立つこと。 そのように説明されることもあります。 しかし、一座建立とは、単にお茶会が無事に終わることではありません。 亭主が茶室を整え、道具を調え、静かな向きを空間に宿す。 その整えられた空間に客が席入りし、掛物を拝見し、花や道具に目を向け、自らの席に着きます。 この一連の作法を通して、客は日常からそっと切り離され、内側が静かに整っていきます。 やがて、亭主・客・道具・空間、それぞれの向きが自然に重なり始めます。 言葉は少なくなり、所作は静かに響き合う。 その重なりの中で、茶室は「場」となります。 その場では、時間の流れも変わります。 急ぐこともなく、遅れることもなく、ただ、一服のお茶をともにしている時間だけがあります。 茶道が大切にしてきたのは、一服のお茶そのものではありません。 その一服を通して生まれる、一度限りの場です。 一座建立とは、その場が静かに立ち上がったことを表す言葉のように思います。 In the Way of Tea, there is a phrase: Ichiza...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E4%B8%80%E5%BA%A7%E5%BB%BA%E7%AB%8B%EF%BC%88%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%96%E3%81%93%E3%82%93%E3%82%8A%E3%82%85%E3%81%86%EF%BC%89-ichiza-konry%C5%AB-when-a-tea-gathering-becomes-a-place</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d31464102d</guid><pubDate>Sun, 02 Aug 2026 22:15:42 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_9ce25ed6238241dfa0cec8ba3deef0f8~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[型の向こうにあるもの　　    Beyond Form]]></title><description><![CDATA[茶道では、風炉の灰の形にまで陰陽が表されています。 茶碗には正面があり、扇子には置く位置があり、花には向きがあります。 一つひとつを見れば、細かな決まりのようにも見えます。 なぜそこまで意味を持たせるのでしょうか。 日本文化は、意味を付け足してきた文化ではありません。 「在ること」そのものに理を見いだし、それを形に写してきた文化です。 自然には、明るさと暗さ、動きと静けさ、開くことと閉じることがあります。 陰陽もまた、何かを説明するためにつくられた概念ではなく、 すでにある働きを捉えたものです。 風炉の灰型も単に灰を美しく整えるためだけのものではありません。 見えない理を灰という形を通して場に写しています。 茶碗の正面も、扇子の置き方も、花の向きも同じです。 型そのものが先にあるのではなく、 どのような関係をつくるのか、どのような場を生むのか── その理由が先にあり、結果として型が残っています。 型だけを覚えると、それは決まりごとになります。 しかし、その型が生まれた背景に触れると、 所作は理のあらわれとして見え始めます。 日本文化が細部にまで意味を宿してきたのは、...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E5%9E%8B%E3%82%92%E9%80%9A%E3%81%97%E3%81%A6%E7%90%86%E3%81%AB%E8%A7%A6%E3%82%8C%E3%82%8B-touching-the-principle-through-form</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d31464102c</guid><pubDate>Wed, 29 Jul 2026 22:06:34 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_06d4227219144161aa9f061fc81141dc~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[花は空間をいけている　　Flowers Arrange Space]]></title><description><![CDATA[花をいけていると、不思議な瞬間があります。 枝を少し動かす。 葉の向きを変える。 すると、ある一点で迷いが消えます。 「ここ。」 その感覚は、考えてたどり着くものではありません。 美しいからでも、形が整ったからでもありません。 理由より先に、その場所だと分かります。 花が美しいのではありません。 美しくなるのは、空間です。 花がそこへ触れた瞬間、それまで見えていなかった空間が静かに姿を現します。 それは、花によって生み出されたものではありません。 空間には、何も置かれていないときから、すでに一つの理があります。 まだ形はありません。 まだ意味もありません。 それでも、そこには静かな向きがあります。 どこが開いているのか。 どこが静まっているのか。 どこに呼吸があるのか。 どこに命が通っているのか。 その向きは、花を置く前から、すでに空間の中にあります。 花を生けるとは、空間をつくることではありません。 すでにある空間の理に、花が静かに触れることです。 その瞬間、それまで見えなかった理が姿を持ちます。 空間が開く。 空間が整う。 空間が呼吸を始める。...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E8%8A%B1%E3%81%AF%E7%A9%BA%E9%96%93%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-flowers-arrange-space</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d31464102b</guid><pubDate>Sun, 26 Jul 2026 23:42:05 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_fe986fd361e248a0a5f1f01ee49099b6~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[花は心の静謐 　"Flowers Are the Stillness of the Heart"]]></title><description><![CDATA[ある先人が残したこの言葉を、心に留めています。 「花は心の静謐（せいひつ）」 茶花は、「花は野にあるように」と教えられます。 意匠を凝らすのではなく、野に咲く姿をそのままに生ける。 自然らしく生けるための教えのようにも見えますが、大切なのは花の姿だけではなく、その花が場にもたらす働きなのだと思います。 野の花は、自分を美しく見せようとはしません。 誰かに評価されるために咲くこともありません。 ただ、その時、その場所に在ります。 茶花もまた、そのままの花を場に迎えます。 花は何も語らず、ただ、そこに在る。 その姿に触れると、心にあった余分なものが静まり、その時の私が静かにあらわれてきます。 「花は心の静謐」 その言葉には、花そのものの美しさではなく、花がそこに在ることで生まれる静けさと、その中にあらわれる人の姿まで含まれているように思います。 I keep close to heart these words left by one who came before us: “Flowers are the stillness of the heart.” In chabana,...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E8%8A%B1%E3%81%AF%E5%BF%83%E3%81%AE%E9%9D%99%E8%AC%90-flowers-are-the-stillness-of-the-heart</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d31464102a</guid><pubDate>Sat, 25 Jul 2026 13:43:22 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_f8eb0f16074b4980899665d63eeca7e5~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[なぜ茶道では扇子を置くのでしょうか　　The Folding Fan: Creating a Place Before Words]]></title><description><![CDATA[茶道では、扇子は欠かすことのできない道具です。 しかし、茶道の扇子は暑さをしのぐために使うものではありません。 実際には、開くこともほとんどありません。 では、なぜ扇子を持ち、挨拶の前に静かに前へ置くのでしょうか。 一般には、「一線を引くため」「結界を表すため」と説明されることがあります。 もちろん、その意味もあるのでしょう。 けれどその一線は人と人を隔てるためのものではないように感じています。 扇子を置くことで生まれるのは、距離ではなく、敬意です。 近づきすぎることもなく、遠ざかることもなく、お互いを大切にするための静かな間合いが生まれます。 茶道では、挨拶をする前にまず扇子を置きます。 言葉より先に、場が整えられます。 「こんにちは」と声を交わす前に、すでに亭主と客は一つの場をともにしています。 扇子は、その始まりを静かに知らせているように思います。 扇子は「境界」をつくるものというより、「場」を生み出すものではないかと感じています。 一本の扇子が置かれることで、それまでの日常から茶の湯の時間へと静かに移り変わっていきます。...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E3%81%AA%E3%81%9C%E8%8C%B6%E9%81%93%E3%81%A7%E3%81%AF%E6%89%87%E5%AD%90%E3%82%92%E7%BD%AE%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d314641029</guid><pubDate>Wed, 22 Jul 2026 22:09:11 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/11062b_c52af6f74a1742b49e18b2c8cec0297c~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[和　敬　清　寂　　Wa-Kei-Sei-Jaku]]></title><description><![CDATA[茶道では、「和敬清寂」という言葉を大切にします。 和は調和。 敬は敬う心。 清は清らかさ。 寂は静けさ。 このように教えられることが多くあります。 もちろん、これは茶道の大切な教えです。 しかし、お稽古を続けるほど違う見え方をするようになりました。 同じお茶室。 同じ道具。 同じ点前。 同じ所作。 それでも、人によって場の空気はまったく違います。 なぜでしょうか。 所作が違うからではありません。 そこにあらわれている「その人」が違うからです。 どれほど形を整えても、その時の在り方は自然と所作に映し出されます。 歩き方。 お辞儀。 茶碗の扱い。 お客様との向き合い方。 そのどれもが、技術だけで成り立っているわけではありません。 その時の私が、そのまま静かにあらわれています。 だから和敬清寂は、努力して身につけるものではないのかもしれません。 その時の私の在り方が、そのまま場に映し出された結果として現れるもの。 和をつくろうとして和になるのではありません。 敬そうとして敬になるのでもありません。 私の在り方が整うことで、人と人、道具、空間、季節が自然と響き合い、その場に和が生まれます...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E5%92%8C-%E6%95%AC-%E6%B8%85-%E5%AF%82-wa-kei-sei-jaku</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d314641028</guid><pubDate>Tue, 21 Jul 2026 23:08:43 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_e8db4048f0264c3ca1299ab25e91b374~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[お客様が触れているもの　　What the Guest Truly Encounters]]></title><description><![CDATA[茶道ではお道具をとても大切にします。 茶碗、茶杓、棗、掛物、花入。 長い年月を経て、受け継がれてきたものも少なくありません。 お道具は、古さや価格だけで大切にされているのではありません。 お茶会やお茶事はもちろん、お稽古でも、その日のお客様を思いながら道具を選びます。 季節に合わせて。 天候に合わせて。 お客様に合わせて。 一つひとつの道具を選び、取り合わせていくところに、亭主の心持ちがあらわれます。 客は道具を拝見します。 しかし、見ているのは道具だけではありません。 その取り合わせの中にある亭主の心配りや、お客様を迎える思いにも触れています。 道具は、単なる「物」ではありません。 亭主の心持ちが、形となってあらわれるものでもあります。 同じことは、お茶事全体にもいえます。 水を撒くこと。 露地を掃くこと。 花を入れること。 炭を組むこと。 懐石を用意すること。 掛物を選ぶこと。 そのどれもが、お客様を迎えるための準備です。 そして、その一つひとつに、亭主の在り方があらわれます。 客は道具を拝見し、一服のお茶をいただきながら、そのあらわれに触れているのです。 In the...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E3%81%8A%E5%AE%A2%E6%A7%98%E3%81%8C%E8%A7%A6%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d314641027</guid><pubDate>Mon, 20 Jul 2026 23:27:19 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_1fce056724104d77a81856010e4068ae~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[小間　　The Small Tea Room]]></title><description><![CDATA[「なぜ茶室はこんなに狭いのだろう」と思われる方が少なくありません。 特に利休が大切にした二畳の小間は、必要最低限とも思える広さです。 しかし、この二畳という広さは「狭い部屋をつくろう」と考えて生まれたものではありません。 その背景には、「どのような場をつくりたいのか」という茶道の考え方があるように思います。 利休以前の茶の湯は、広い書院で行われることが多く、名物の道具や掛物を鑑賞することも大切な楽しみの一つでした。 一方、利休は茶の湯の中心を、道具から人へと移していきます。 そして、人と人が一服のお茶を通して静かに向き合うためには、どのような空間がふさわしいのかを問い続けました。 その答えの一つが、小間でした。 二畳という空間には、余計なものを置くことができません。 飾るものも限られます。 広い空間では意識がさまざまなものへ向かいますが、小間では自然と、一服のお茶と私へ意識が集まります。 「集中しなさい」という教えではありません。 空間そのものが、自然とそのような働きを生み出しているのです。 茶道には、一つひとつの形に理由があります。...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/___%E5%B0%8F%E9%96%93</link><guid isPermaLink="false">6adc46d2a98175d314641026</guid><pubDate>Mon, 20 Jul 2026 01:23:03 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_96fb7d96940e40ca9297f0ad0ae1ea38~mv2.jpeg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[茶道は何を大切にしてきたのか　　What Does the Way of Tea Truly Value?]]></title><description><![CDATA[茶道は、最初から現在のような形だったわけではありません。 その始まりは、中国で薬として飲まれていたお茶でした。 やがて禅寺では、坐禅の眠気を払い、修行を支えるためにお茶が用いられるようになります。 その頃、お茶は人前で点てるものではなく、裏方が用意し、それをいただくものでした。 その後、日本では闘茶や書院茶が広まり、お茶は道具や茶葉を鑑賞する文化として発展していきます。 そして村田珠光は、お茶の価値を道具から人へと移しました。 武野紹鷗はその流れをさらに深め、豪華さよりも静けさを大切にする茶の湯を育てます。 千利休は、お茶を点てる時間そのものを客と共有する場へと変えました。 亭主が目の前で湯を沸かし、お茶を点て、一碗のお茶が生まれる時間を共にする。 そこには道具を見せることよりも、人と人が向き合うことが大切にされています。 茶道の歴史を振り返ると、その変化はお茶の点て方が変わったということではありません。 何を大切にする文化なのかが、少しずつ変わってきたように思います。 だから現在の茶道にも、一つひとつの所作には理由があります。...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E8%8C%B6%E9%81%93%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%92%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B</link><guid isPermaLink="false">6adc46d1a98175d314641025</guid><pubDate>Sun, 19 Jul 2026 05:42:02 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_20c24376c7434449b95cb81f96af9f1b~mv2.jpeg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[所作　　The Language of Movement]]></title><description><![CDATA[長く稽古を続けるほど、所作だけを整えようとしても、本当の美しさには届かないことに気づきます。 どれほど丁寧に動こうとしても、その時の私の在り方や心持ちは、自然と所作に表れます。 反対に、私の在り方が整うと、所作は無理なく穏やかになっていきます。 歩き方も、お辞儀も、お茶碗の扱いも、お客様との向き合い方も、それぞれ別のものではありません。 すべては、その時の私の心持ちにあらわれます。 だからこそ、茶道では基本を大切にします。 基本の所作は、ごまかすことができません。 一つひとつの動きが、そのまま私を映し出します。 薄茶点前は技術を磨くためだけのお稽古ではなく、その時々の私の在り方と静かに向き合う時間なのだと思います。 The longer I practice the Way of Tea, the more I realize that true beauty cannot be achieved by refining only the outward form. No matter how carefully I try to perform each movement,...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/___%E6%89%80%E4%BD%9C</link><guid isPermaLink="false">6adc46d1a98175d314641024</guid><pubDate>Fri, 17 Jul 2026 22:53:21 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_ea8a60a63e4a4bb5b8aa1bf256f97080~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_768,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item><item><title><![CDATA[茶の道　　The Way of Tea]]></title><description><![CDATA[静けさの中で、そのままの私がそっとあらわれます。 整えようとしなくても、意識しようとしなくても、その時の私が静かに姿を見せます。 茶道は、自分をつくる道ではなく、そのままの私と出会う道。 点前にも、お客としての所作にも、その時々の私が自然と映し出されます。 静けさは、私を映す鏡のようなもの。 ただそこに身を置くだけで、その時々の私と静かに向き合う時間が生まれます。 毎回同じ稽古でも、あらわれる私は毎回違います。 その小さな違いに気づくたび、自分という存在の奥行きが、少しずつ見えてくるように感じます。 In stillness, my true self quietly reveals itself. Without trying to improve myself or become anything, who I am in that moment naturally comes into view. The Way of Tea is not a path of becoming someone else, but a path of meeting myself as I...]]></description><link>https://www.senshinan-sakado.com/post/%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%8C%B6%E3%81%AE%E9%81%93</link><guid isPermaLink="false">6adc46d1a98175d314641023</guid><pubDate>Fri, 17 Jul 2026 04:43:54 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/63de5c_ff006d8b0a0f4fc5b04bf49cc85ee0ab~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>美文 </dc:creator></item></channel></rss>